ロマンチック街道
・スイスアルプスと華の都パリ



旅行記 ページへ>ロマンチック街道・スイスアルプスと華の都パリ

 2010年5月3日から11日まで9日間、阪田さま夫妻と一緒にヨーロッパツアーに参加しました。
今回のコースは、関西空港からルフトハンザ航空11.5時間のフライトでドイツフランクフルト空港、バスにてマインツへ(泊)。
リューデスハイムからザンクト・ゴアスハウゼンまでのライン河クルーズの後ハイデルベルグへ、そして古城街道をへてローテンブルグへ(泊)。
ロマンチック街道の中心地ディンケンスビュールを経てノイシュバーンシュタイン城のあるホーエシュバンガウへ(泊)。
ノイシュバーンシュタイン城観光後インターラーケンに立ち寄り、アイガー北壁の麓の村グリンデルワルドへ(泊)。
登山電車を乗り継いで標高3454mのユングフラウヨッホ頂上駅へ、観光後ラウターブルンネンよりバスでジュネーブへそしてフランス新幹線TGVにのりフランスパリへ(3泊)。
パリ市内観光、今回の目的であるモンサンミッシェル観光で2日間のフランスを楽しみました。
ルートマップ シャルルドゴール空港よりフランクフルト経由で関西空港へ。
 30名のツアー、新婚さんが3組いました。かなり忙しい旅でした。今回の旅行でパリは4回目、ユングフラウヨッホ、ロマンチック街道は2回目、目的のモンサンミッシェルには感動しました。
 阪田さま夫妻は、2001年にオランダ・ベルギーを旅行した際ご一緒した人です。聞いてみると住まいは宇治、また一緒に行きましょうと言いながら10年が経過し、ようやく実現しました。

写真はクリックすると拡大します。




*** ドイツ マインツ市街の散策です ***
マインツ市 大聖堂
中世よりマインツ大司教の司教座聖堂の所在地であり、活版印刷の発明者ヨハネス・グーテンベルクの出身地でもあります。面積98平方キロメートル、人口20万人の町です。ロマネスク様式のマインツ大聖堂は、ケルン、トリーアと並んで有名な大聖堂です。グーテンベルク博物館もあります。
今回は、ライン河クルーズの起点であるこの地に宿泊、ホテルは、ライン河畔にあるヒルトンマインツで良いホテルでした。夕方に到着しましたので、街中を散策しました。まずは町のど真ん中にある大聖堂へ。一部修複中でしたが、荘厳な礼拝堂でした。中庭を有する静かな回廊のつきあたりには歴代のマインツ司教たちがコレクションしてきたお宝を所蔵したマインツミュージアムがありましたが閉館していました。
マインツ市街
人口20万程度の町なので、街中も人でごった返すというよりは落ち着いた雰囲気をかもしだしている感じでした。市民の足は、路面電車と公共のバス、ヨーロッパの町ではこのような光景をよく見かけますが、日本では考えられません。
阪田さまと陽子 マインツ市内
町の中は花にあふれています。またピンク色のマロニエもたくさん咲いていました。スーパーマーケットで買い物をしてホテルへ戻りました。8時ごろまでは明るいですね。


*** 世界遺産 ライン河クルーズ 世界文化遺産 ***
ラインシュタイン城
ライン河クルーズで有名な、KDラインの乗船場があるリューデスハイムには、つぐみ横丁(DROSSELGASSE)と呼ばれる、全長150m程の路地があり石畳の路地や、古い町並みが多く残っています。路地の両側には、1883年創業の「バイ・ハネローレ」や、1727年創業の「ドロッセルホーフ」など、老舗のワイン酒場やレストランが軒を連ねています。
ライン河はスイスアルプスからボーデン湖に入り、ドイツのほか周辺の国々を潤しながら北上し、北海へと注ぐ。全長1320kmのうち約700kmがドイツ。ドイツにとって「父なる河」です。 リューデスハイムから途中8カ所の船着場に寄りながら、川下のザンクト・ゴアスハウゼンまで約35kmを100分かけてクルーズします。 両岸はブドウ畑、中世の古城が点在する。35kmの間だけでも10指に余る古城、騎士城が見えます。
写真は、ラインシュタイン城です。
ライヒュンシュタイン城
ゴアスハウゼンの手前には、あの歌で有名な「ローレライ」の岩があります。その元となった伝説のローレライ岩、右岸に聳え、高さ130mです。 少なくともこの間、ライン河には橋がありませんでした。河の両側を鉄道が走っています。
写真はライヒュンシュタイン城です。
観光船と貨物船
ラインは国際河川。外国船が自由に行き来します。 観光船が数多く行き交うだけでなく、貨物船も多い物流の大動脈でもあるそうです。


*** ハイデルベルグ市街の風景とハイデルベルグ城  ***
ハイデルベルクの街並み
面積106平方キロメートル、人口15万人の町です。ハイデルベルグ城のテラスからは見下ろすレンガ色一色のハイデルベルクの街並みやネッカー川にかかる「カール・テオドール橋」が一望でき、これまた絶景です。
ハイデルベルグ城
ライン川の支流、ネッカー川沿いに位置する大学都市で、ドイツで一番美しいといわれている中世の街ハイデルベルグ。プファルツ選帝候によって14世紀に建造されたハイデルベルグ城は、増改築を重ね、ゴシックやルネッサンスの様々な建築様式が残され、そのテラスからは、レンガ色一色のハイデルベルクの街並みやネッカー川にかかる"カール・テオドール橋"が一望できます。今や廃墟同然となったレンガ色のハイデルベルグ城は、プファルツ選帝候によって、14世紀に建造された。増改築を重ね、ゴシックやルネッサンスの様々な建築様式が残っています。 廃墟の城の中庭に立つと、四方が朽ち落ちる寸前とも思える建物ばかり。よくぞ現在まで保存されていたと、ヨーロッパの文化に対する考え方に驚いてしまいます。
世界一大きいワイン樽
城内に設置された世界一大きいワイン樽の巨大さには驚かされます。城内には巨大な樽も保管されている。 昼食はドイツ名物のソーセージ、ポテト、サラダ、アイスクリーム。 ドイツソーセージにも種類があり、日本でよく食べるフランクフルトは、「ドイツフランクフルッター」という。 今日のソーセージは「ニュールンベルガー」というウィンナーソーセージを少し長くした大きさのもの。


*** ロマンチック街道のハイライト ローテンブルグ  ***
ローテンブルグの家並み
面積42平方キロメートル、人口1万2千人の町です。中世の面影をほぼ完璧に残し〜中世の宝珠〜といわれるこの町の正式名称はRothenburg ob der Tauber(タウバー川上方にあるローテンブルク)、町は960年ごろタウバー渓谷に最初の集落ができたのに始まり、最初の城壁が12世紀に完成、丘陵上に集落ができローテンブルクとなりました。現在は世界からの寄付により再興、建築条例により保護されています。 赤い屋根、白い壁の家々が、森と林に囲まれた村落が、まるでメルヘンの国からスリップしたようでした。

ローテンブルク名物のお菓子、シュネーバル(Schneeball =Snowball)、パイ生地をリボン状にのばし、丸めて揚げたもので、粉砂糖やチョコがかかっている。DM3、一つ食べてみました。おいしかったです。
市庁舎、議員宴会館の仕掛け時計、犯罪博物館などいろいろ見るところはあります。
城壁と回廊
ローテンブルクの旧市街は全長3.4キロの城壁で囲まれています。中世の頃は町を防御するために周囲を市壁で囲み、その中に住む人をブルガー(町人)と呼んでいたそうです。城壁の上を少し歩いてみました。中世都市の様子が良く解り、特に赤い瓦屋根のディテールが印象に残ります。
ザンクトヤコブ教会の祭壇
ゴシック様式の2本の塔をもつ14世紀建築のローテンブルグの主教会。西側2階にあるティルマン・リーメンシュナイダーの彫刻「聖血祭壇」、祭壇と高さ17メートルの見事なステンドグラスに感動します。12使徒の祭壇も一見の価値があります。 また5500本のパイプを持つ新しいオルガンがありありました。


*** 水郷と城壁で囲まれた町 ディンケルスビュール  ***
水郷と城壁で囲まれた町
面積75平方キロメートル、人口1万2千人の町です。第2次世界大戦の被害を免れたディンケルスビュールには、中世の街並みがそっくり昔のまま残っている。

マルクト広場のドイチェスハウス
街の中心、マルクト広場を囲むように建つ見事な木組みの家々はどれも15〜16世紀ごろのもので、なかでもドイチェスハウスと呼ばれる建物が有名。
この建物は観光名所となっており、現在はホテルとして使用されている。このように三角屋根の高層建築が多い町だが、小さな町なので、散策しても道に迷う恐れはない。
ザンクトゲオルク教会
マルクト広場に面してそびえる後期ゴシック様式の教会です。15世紀に造られたもので南ドイツ屈指の美しさを誇っています。尖塔上部からは城壁で囲まれた小さな町が一望できるのですが、残念ながらその時間はありませんでした。教会の塔には日時計がありました。


*** ロマンチック街道の終点 ホーエンシュバンガウの町  ***
ホーエンシュバンガウの町
ホーエンシュバンガウは、ドイツ、バイエルン州フュッセン近郊、観光ルート「ロマンチック街道」で人気の2つの城(ノイシュヴァンシュタイン城とホーエンシュヴァンガウ城)があるオーストリア国境近くのエリア。また、リヒャルト・ワーグナーの歌劇「ローエングリン」で有名な白鳥伝説ゆかりの地とされます。

ノイシュヴァンシュタイン城
絶壁の上にそびえる白亜の美しい城で、ドイツでは観光客に最も人気のある城。バイエルン国王ルートヴィッヒ2世が心酔していたワーグナーのオペラ「ローエングリン」と「タンホイザー」に登場する騎士の城を再現しようと、国庫を傾け築いただけあって、内部は絢爛豪華。外観が白鳥のように優美なのとは反対に、金が多用された派手派手しいもので、王座の間、寝室、歌人の間など、どこも目がくらまんばかり。ルートヴィッヒは国費を遣いすぎたために晩年幽閉されてしまい、夢の城で過ごせたのはわずか100日あまりだとか。
ホーエンシュヴァンガウ城
ホーエンシュヴァンガウ城(Schlos Hohenschwangau)は、マクシミリアン2世により改築された城でです。ルートヴィヒ2世は幼年時代をホーエンシュヴァンガウ城で過ごしました。 この城を含むシュヴァンガウという地名は直訳すると「白鳥の里」の意味であり、この地こそがリヒャルト・ワーグナーの歌劇、ローエングリンで有名な白鳥伝説ゆかりの地でした。こうした地元の伝説にちなみ、ホーエンシュヴァンガウ城には、至る所に中世騎士伝説を描いた壁画が描かれており、「ローエングリン」の壁画も当然そこに含まれている。
残念ながら入場しての観光はしませんでしたが、ライトアップされたお城は幻想的な美しさを感じました。


*** シュタインガーデンの町はずれにあるヴィース教会 世界文化遺産  ***
ヴィース教会
ホーエンシュヴァンガウからリンターホーフに向かう途中にシュタインガーデンという町に、豪華絢爛たるロココ様式の小さな教会があります。
ある農家の夫人がシュタインガーデン修道院の修道士が彫った「鞭打たれるキリスト」の木像をもらい受けたところ、このキリストの像が涙を流したという。この噂は「ヴィースの涙の奇跡」として広まり、巡礼者が農家に集まるようになった。巡礼者は増える一方で、シュタインガーデン修道院が先頭に立ち、一般からの浄財を募るなどして建設資金を捻出し、1746年から建造されたのがこの教会である。1754年に献堂式が行われ、最終的に完成したのは1757年であった。外観は牧場の中に建つ何の変哲もない教会だが、ロココ様式の内部の装飾はヨーロッパ随一と言われており、特にその天井画は「天から降ってきた宝石」とも讃えられています。ロマンティック街道、ドイツ・アルペン街道の観光スポットの一つとなっています。
1983年、世界遺産に登録されています。

涙を流すキリスト像
涙を流すキリスト像(左目の下に小さな白い染みが見える)


*** インターラーケンからユングフラウヨッホへ  ***
インターラーケンの町
ヴィース教会をあとにしてひたすらグリンデルワルトを目指してバスで走りました。途中、ドイツ−オーストリア国境を通過、しばらく走ってオーストリア−スイス国境を通過し、ようやくインターラーケンの町に到着。休憩とショッピングを楽しんだのち再びバスでグリンデルワルトへ。13時にヴィース教会を出発、20時にホテル到着、7時間のバス移動でした。


グリンデルワルトの町
夕食は名物のミートフォンデュでした。
ユングフラウヨッホの展望台
グリンデルワルトからヴェンゲルンアルプ鉄道(w:Wengernalpbahn)に乗り、クライネ・シャイデック(海抜2061メートル)へ。ユングフラウ鉄道に乗り換え、ヨーロッパ最高地に位置するユングフラウヨッホ駅(海抜3454メートル)に到着。
エレベータに乗り Top Of EUROPE(3571m)へ、しかしガスがかかっていて何も見えず。アイガー(3970m)、メンヒ(4099m)、ユングフラウヨッホ(4158m)の3山や世界遺産アレッチ氷河が見えるはずでしたが、残念。




*** パリ市内観光 世界文化遺産  ***
フランス新幹線車中の幕の内弁当
ジュネーブからフランス新幹線TGVで花の都パリへ3時間の列車の旅、車中の夕食幕の内弁当です。
新幹線といってもトロトロ走っている、スピードが出たのは後の1時間位、フランスに入ってからでした。

ルーブル美術館のさかさピラミッド
パリではルーブル美術館に行きました。有名な展示物は、日通り見ました。大勢の人、懐中ものには注意等ゆっくりできませんでした。あとはバスからの観光、忙しいパリでした。
主な観光スポット。
セーヌ右岸
パリ市庁舎 - 現在の庁舎はパリ・コミューンの後に再建されたもの。
ルーブル宮殿 - 現在はルーブル美術館として使用されている。
カルーゼルの凱旋門
コンコルド広場 - フランス革命期には断頭台が設置され、ルイ16世やマリー・アントワネットの処刑が行われた広場。
マドレーヌ寺院 - コンコルド広場の北にある新古典様式の教会
シャンゼリゼ通り - コンコルド広場を東端とするパリの中心的な大通り。
エッフェル塔をバックに
セーヌ左岸
オルセー美術館
エッフェル塔 - フランス革命100周年を記念して建てられた。

シテ島
サン・ルイ島
区間内の主な橋
ポンヌフ - パリのセーヌ川にかかる橋のなかで現存最古を誇る。
アレクサンドル3世橋 - パリの橋の中で最も美しいとも評される橋。

パリは今回で4回目、そして18年ぶりです。しかしその隔たりは感じませんでした。
なぜ? 忘れてしまったのか、それとも本当に変わっていないのか。多分大きくは変わっていないと思います。これは、フランスの都市景観を守るという方針の結果だと思います。今回訪問したドイツやスイスも同様の政策をもっています。だから古い町並みが残るのだと思います。
昼食はエスカルゴでした。



*** モンサンミシェルとその湾   世界文化遺産  ***
モンサンミッシェル 潮が引いた時の姿です
モン・サン=ミシェル(Mont Saint-Michel)はフランス西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶ小島に築かれた修道院です。このサン・マロ湾はヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所として知られています。このため、湾の南東部に位置する修道院が築かれた岩でできた小島はかつては満ち潮の時には海に浮かび、引き潮の時には自然に現れる陸橋で陸と繋がっていた。島の入口には潮の干満時刻を示した表示があり、満潮時には浜に降りないようにと記されています。1877年に対岸との間に地続きの道路が作られ、潮の干満に関係なく島へと渡れるようになりました。しかし、これによって潮流をせき止めることとなり、100年間で2mもの砂が堆積してしまいました。急速な陸地化が島の周囲で進行しており、島の間際まで潮がくることは滅多になくなり、かつての姿を取り戻すべく、代替となる新たな橋がかけられることが計画されているそうです。島への道路の脇を少し歩きましたが、砂というよりは泥の上を歩くようでした。潮が引いた直後、歩くと大きく足がとられるとのことでした。
モンサンミッシェル
 この島はもともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民のケルト人が信仰する聖地でした。708年、アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使・ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けたが、悪魔の悪戯だと思い信じませんでした。再び同じ夢を見たが信じず、ついに3度目には大天使はしびれを切らし、今度はオベールの額に指を触れて強く命じたところ、オベールは稲妻が脳天を走る夢を見ました。翌朝、オベールは自分の頭に手を置くと脳天に穴が開いていることに気づいて愕然とし、ここに至って大天使ミカエルのお告げが本物であると確信してここに礼拝堂を作ったのが始まりです。966年にはノルマンディー公リチャード1世がベネディクト会の修道院を島に建て、これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になったものです。以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきました。
 この教会を見るために今回の旅行を計画しました。素晴らしい姿を見ることが出来ました。主要部はゴシック様式ですが、内部はさまざまな中世の建築方式が混ざり合って構成されています。教会堂はカロリング期の様式、身廊はノルマン様式、内陣はフランボワイアン・ゴシック様式、鐘楼と尖塔ゴシック・リヴァイヴァル建築などで、何度も増築・改築の結果だそうです。現在も修道院として生きています。
この日は、マラソン大会があり人と車でごった返していたのが残念でした。

モンサンミッシェルで有名なオムレツ
 モン・サン=ミシェルの名物料理であるオムレツ(スフレリーヌ)を食べました。モン・サン=ミシェルのオムレツはホイップクリームのように泡立てて焼くため、とてもふんわりと焼きあがり、また、味付けも甘く作られていました、しかしとりたてて美味しいとは思いませんでしたが。



*** おわりに  ***

 ロマンチック街道、パリは1990年、ユングフラウヨッホは1992年に行って以来です。この時と比べて、見たところこれらの町の雰囲気は変わっていません。約20年の時の流れがあるのに変わっていません。なぜでしょうか。
 観光地であり、世界遺産の町だからでしょうか。国の政策として、都市景観を守っているのでしょうか。それでは変わったところは何処でしょうか。ドイツ マインツ市には初めて行きました。人口20万人の小さな町です、路面電車があり、2両連結のバスが走っています。静かな落ち着いた街でした。
 ロンドン、パリ、ローマ等の大都市は少し違いますが、このマインツは、約20年前に行ったことのあるウイーン、ジュネーブ、ローザンヌ、デュッセルドルフ等々の町の雰囲気と同じようなものをもっています。ゆとりがあるのでしょうか。ゆっくりと滞在してみたい町です。


Dankeschon 2010年6月10日



ページ先頭へ